韓国ドラマ-大祚榮(テジョヨン)
大祚榮(テジョヨン)-概要
ジョヨンは唐の挑発により危機に陥っていた父テ・ジュンサンと高句麗の兵士たちを助けるために戦い始める。この時、唐と手を組んでいる契丹族の襲撃により生死をさまよっていたジョヨンは、契丹族族長の娘チョリンに助けられる。それをきっかけにジョヨンとチョリンは恋に落ちる。
そんな中、ジョヨンの恋のライバルとして現れるのが、チョリンと兄妹のような仲のイ・ヘゴ。ヘゴは高句麗の将軍のもとに生まれるが、訳あって契丹族によって育てられ、共に育ったチョリンを愛するように...。平壤城の政治勢力と遼東の軍部勢力が反目する中、和合と仲裁のために平壤城に侵入したジョヨンは、監獄に入れられてしまう。それを救ったのが、寶臧王の姪スギョン。スギョンはテジョンに想いを寄せ、チョリンと恋のライバルになり、葛藤を起こす。そんな中、チョリンはジョヨンとの子を身ごもるが、ジョヨンに告げることもできず...。結局二人は引き裂かれる運命となってしまう。
やがて、高句麗は新羅と手を組んだ唐に滅ぼされ、高句麗の民は流民になる。あちらこちらに散らばってしまった高句麗の民を思うジョヨンは、高句麗の民が安心して暮らせる国を作るために、義兄弟として意を決したコルサビウ、フクスドルと共に立ち上がり...。
https://youtu.be/-QrcKgM-2a4
https://youtu.be/vK2gp4KiFUA
大祚榮(テジョヨン)-相関図
韓国ドラマ-大祚榮(テジョヨン)-88話
高句麗流民村。契丹国皇帝イ・ジンチュンに高句麗流民を返す代わりに、唐との戦いに加勢を求められたテ・ジョヨン。テ・ジョヨンは皇帝の期待を絶対裏切らないと答える。そこへ伝令が、イ・ヘゴが率いる契丹軍が高句麗流民村に到着したことを告げた。表ではイ・ヘゴたちとコルサビウ、フクスドルたちが一触即発の状態だった。そこへ皇帝イ・ジンチュンが現れ、事なきをえた。テ・ジョヨンの父ジュンサンが流民の一部を連れて帰り、残ったテ・ジョヨン軍が契丹軍とともに唐と戦うことになった。唐はソ・リンギを大総管に立て、20万人の大軍を送り込み、臨楡関に司令部を置いた。契丹軍はイ・ヘゴを総司令、シン・ホンを軍師として、テ・ジョヨン軍は解体して各隊に配属される形をとった。テ・ジョヨン、ミモサの案でテ・ジョヨンの配下は各自三足烏の高句麗旗を持ち、各隊で先鋒を務めさせることにした。テ・ジョヨンは全員に、先鋒で必ず敵将を倒し、持っている三足烏の旗を立てるように告げた。唐の第一軍はイムンが率いていた。それにテ・ジョヨンが先鋒として向かい討つことになった。テ・ジョヨンの監視のために、シン・ホンは前線にコムを送り込んだ。コムは高句麗の三足烏旗の形や見た目が気に入って、その旗をくださいとテ・ジョヨンに申し込んだ。そんなコムを怪訝そうに見るテ・ジョヨンだった。
韓国ドラマ-大祚榮(テジョヨン)-89話
早馬が臨楡関の唐の陣営に入った。司令部のソ・リンギは敵陣にテ・ジョヨンの姿がないことが気になっていた。早馬はイムンの伝令である。テ・ジョヨンの行方を捜したが見つからないという返事であった。テ・ジョヨンの行方が分からないままソ・リンギは総攻撃の指令を出した。イ・ヘゴの軍師シン・ホンは唐の総攻撃の前日夜、奇襲をかけるよう指示を出し戦闘は開始された。奇襲は成功し、各戦地で、先鋒を務めたテ・ジョヨン軍の精鋭は戦功を上げていった。まさにテ・ジョヨンの狙い通りであった。そして、唐のイムン、契丹国のイ・ヘゴ両主力軍が激突した。イ・ヘゴ軍は数で圧倒するイムン軍に追い詰められていた。しかし、イムンの本陣から火の手が上がった。テ・ジョヨン自ら率いた軍が敵の本陣の食糧庫を焼き払ったのだ。一気に形勢が逆転、契丹国が初戦に勝利した。テ・ジョヨンは城外のイムンが陣を張っていた場所に留まった。勝利を喜んだ契丹国皇帝イ・ジンチュンは、将来に渡るテ・ジョヨンの協力を要請し、テ・ジョヨンの新高句麗建国には力を貸すことを約束した。そんな中、一人の青年がテ・ジョヨン陣営を訪れた。テ・ジョヨンとスギョンの間に生まれた長男ダンである。再会を喜ぶ間もなく、敵将ソ・リンギから使者が来た。唐の味方になって営州城を落とせば、営州の高句麗流民だけでなく唐の流民もテ・ジョヨンに返すというものだった。契丹国を無視したやり方と使者の態度に激怒した契丹国の王子コムはソ・リンギの使者を切り捨てた。「契丹国を裏切りますな」とコムはテ・ジョヨンに向かって叫んだ。
韓国ドラマ-大祚榮(テジョヨン)-90話
ソ・リンギの使者を斬り捨てたコムにテ・ジョヨンは、「自分は契丹を裏切ろうと思ったことは一度もない」と言い、コムを営州城に帰した。契丹国では、テ・ジョヨンが心変わりするのではないかとの疑念が渦を巻いた。しかし、この使者派遣がソ・リンギのテ・ジョヨンと契丹国を仲たがいさせる策であることを見抜いていた人物がいた。イ・へゴと唐の則天皇帝である。イ・へゴはより結束を強くすることを決意し、則天皇帝はソ・リンギ下ろしを考える臣下を諌めるのであった。そして、契丹国では次の戦闘が始まろうとしていた。数に劣る契丹軍のため、テ・ジョヨンは本拠地・東牟山に3万の援軍を要請した。一方、前線に立ったソ・リンギは、強力なテ・ジョヨン、イ・へゴ連合軍を打ち破る作戦を考えあぐねていた。数に勝る唐軍だが2人を分断しなくては勝ち目がない。出陣前夜、ソ・リンギは側近ホンペに木の枝を大量に集めさせた。翌朝、契丹陣営に唐の数万の軍が営州城の北へ向かっていると情報が入った。虚を突かれた契丹軍は、テ・ジョヨンが2万の兵を率いて、それを追撃した。残ったイ・へゴ軍に唐の大軍が襲いかかり、たちまち契丹軍は壊滅し、総司令イ・へゴは生け捕りにされた。営州城の北へ向かった唐軍の土煙の正体はイムン率いる数百騎で、その馬の尾には木の枝が縛りつけられていた…。